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▼イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その6

イザベラ・バードの通った道(山形県川西町小松編)その6/

 宮町に入り本間畳屋さんあたりから右手に伊達家原田氏の居城が見える。バードが通った時代はこのあたり民家はなく、良く見えるのだが、現在は民家が多く道路からは見えないので、実家の2階窓からのぞいてみる。写真の奥が大手南側(ライブスペースJamさん側)写真右が西で本丸(川西温泉『まどか』側、お稲荷さんのある後ろに御神木があり実家の2階窓からみるとゴジラの親子にみえる。写真左が東で二の丸に当たる。

 最後の城主、原田左馬介宗時は地域おこし協力隊のメンバーゆるきゃらで登場?してるようです。文禄2年(1593年)7月伊達家臣団の一人として朝鮮半島の釜山へ渡ったが、病で対馬にて没。二代後にあたる原田甲斐宗輔は仙台藩伊達家の家老となり、1970年のNHK大河ドラマ『樅ノ木は残った』の主人公となってます。

 宮町を通ると原田城の東の守り殿原になる(地名は原田家臣がいたことに由来すると思います)この殿原には中学3年まで住んでいて、原田城は近くの同級生タッカ、タッケ、アッキ、自分ヤッツなどといつもの遊び場でした。母の甥っ子僕らが生まれた昭和30年頃には既に高校生でその頃から写真が好きで当時珍しく公園の記録写真があった。水害でほとんど写真がくっつき、破けて残っていない。

 置賜の昭和(写真アルバム)に原田城東側二の丸から殿原地区が見える写真があったので投稿。バード゙は殿原を通りあら町から坂の上地区に進みます。


2016/02/26 03:41 (C) Atelier Li-no
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