▼西高玉の獅子頭制作再び2024/03/07 10:45 (C) 獅子宿燻亭10
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2007年に白鷹町西高玉の稲荷神社の一対の獅子頭を制作している。
その当時私は49歳だった。
16年前の夜獅子制作
同じく昼獅子
歯と唇とあごに補強板が埋め込まれている
あれから16年を経て、再びあの獅子頭一対の制作をするとは最近まで想像だにしなかった。
当時、一生に一度の大仕事と奮起した覚えがあり、人生何が起きるか本当に判らないものだ。
とにかく両方、作るのが難しい。
夜獅子の木取り この塊から獅子に生まれ変わる
昼獅子の木取り 丸太からギリギリの大きさ
総宮神社型とは別の難しさや複雑さ巨大さがあり、それだけに彫るのが大変だが実に面白い獅
子頭で没頭せざるを得ない。
しかし一度彫っているのだから初見とは違う、奥深い造形を見い出す事ができるのだろうか。
夜獅子頭部と木取り材 鋭い彫り込み
昼獅子頭部 強烈な目力
夜祭に出す獅子は明治21年と記名が残っているが何故か作者の記名は残されていない。
西高玉瑞竜院の社殿彫刻にその超越した腕前を残した菅原鹿蔵の作と推測している。
昼獅子の荒彫り初期
昼祭りの獅子は記名は無いが明治25年頃、一本の木から三頭彫ったといわれる勧進代の
長谷部吉之助と伝えられている。
長谷部獅子は越後村上出身の菅原鹿蔵の超絶技巧獅子と比べ彫りは浅いが、迫力の表情
は威圧されるようである。また、その恐ろしげな表情は北陸加賀の獅子の様式である。
昼獅子内部のえぐりで減量し、ようやく動かせる
長谷部が旅の途中で加賀に逗留し獅子頭の技能を修得したのだろう。その帰り越後村上で
菅原に出会い、お互い置賜で腕を奮ったとも考えられる。
菅原、長谷部両者は共に十王の竜沢寺の彫刻を制作し面識があった逸話があり、この一対
の獅子頭を眺めていると、両者が腕を競い切磋琢磨して仕上げた趣が伝わってくる。
夜獅子の初期 大まかに形を整えてゆく
12月に伐倒した柳の大材があったが、実際木取りして寸法を図るとギリギリの大きさ
だった。昼獅子の方は木取りした大材には足りず丸太から3分の2を使い芯が歯に残っが、
後で、その部分は取り除きFRP(強化プラスチック)で補強してしまう予定だ。
幸い積雪が少なく2月13・14日と夜獅子の大材の柳を割り木取りし、17・18日は昼獅子の
丸太を木取りし移動可能な重さにする為、内部を彫って減量した。19日から1週間かけて昼
獅子の頭部の荒彫りを行い、29日は休み、1日から夜獅子に取り掛かかり5日までには荒彫り
も大分進んできた。生木の湿った状態で細部を彫るともろいので、一旦乾燥させて強度が増
してから彫り進めるが、特に内部は彫過ぎに注意する事に留意している。