▼4月16日(土) 曇り時々強風2011/04/17 00:56 (C) ★ 蕎麦屋の冒険はつづくのか?ぞーこー太郎は奮闘するのか?2011..
▼自給自足私も長井に住んでない奴の一人ですが、実家に帰るたびに実家で取れた野菜を毎日食べて生活する生活ってすばらしいと思います。うちも姪っ子が2人いるのですが、私が育ったのと同じような環境で毎日野菜が育つのを見て、お腹が減ったら畑から直接自分で取ってきて食べてます。子育てはこうあるべき!!!と思いますが軟弱者の私はやっぱり便利な都会にいるんですよね。。。。
2011/04/18 23:58:ゆき
▼RE:ゆきさま厳密な意味で「自給自足」はかなり難しい世の中だろうと思います。
それこそエネルギーや熱源やガソリンやなんやかんや。 その前提で、自分たちの生活に必要なものの中で 自給できるものは賄っていこうという気持ちになれば、出来ることって色々あるかもですよ。 あと、都会に住みながら田舎に貢献するには、やはりその産地のものを買うことでしょう。スーパーまよりファーマーズマーケットへ、みたいな。 御実家の野菜の味を沢山の人に知ってもらうことは、すごくいいことだと思うし、それに共感してお金を払うことが出来る人とつながるのは、都会だからこそ出来ることかもしれません。 軟弱者だなんて言わないで下さいな。 あと余計なお世話ですが、「子育てはこうあるべき!!」っていうもの、それはなかなか決め付けられないんじゃないかと、私は思ってます。 もちろん、幼い子どもが畑から食べ物を頂く経験は、それはそれは大切なことであると思っていますよ。 でも例えば田んぼや畑に囲まれて、米や野菜に不自由なく育った子どもが都会に憧れるし、東京で生まれ育った人が地方に憧れたりしてますよね? また、田舎ではよく聞く言葉に「農業は大変だから子どもに継がせたくない、もうおれでおしまいだ」というのがあります。 それを聞いた子は農業に好印象は持ちにくくなると思います。 大事なのは親が面白がって農業やったり、自分で作ったものを食べる楽しみを共有したりすることなんじゃないでしょうか。 ああ、なんだか乱文になってしまいました。 あ、あと今思ったのですが、近い将来には自給自足しなければ生きていけない時代が来るかも知れませんね。 今までお金で買えたものが買えなくなるという時代が。 全くの妄想ですが、そのときは軟弱者も硬強者も皆田畑で働けばいいことだから、心配御無用・・・なんちゃって。 2011/04/19 23:46:ぞーこー太郎
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どーもっし、ぞーこー太郎です。
明日の試写会の準備で公民館でプロジェクターとスクリーンを拝借。
パソコンではイマイチうまく映らなかったので、
DVD/CDプレイヤーに映像出力コードを繫いでみると立派な映画館のよう!
自宅で映画が見られるって何ていう贅沢なんだ!欲しい!(←欲しい病重篤患者)
それにしても風が強く肌寒い一日でした。
地元AMラジオの朝の番組で、
「今日の放射能(ヨウ素)の数値は○○マイクロシーベルトで、人体には全く影響がない
数値ですのでご安心を。それより花粉が辛くて辛くて・・・」
って、お天気情報の度に何度も何度も言っていました。
確かに花粉症の方々には辛い春でしょう。
がしかし「放射能より花粉が大変」とも受け取れるアナウンスを繰り返していいのだろうか。
福島原発、まだまだ安心出来そうにないようですから。
あ、花粉症にはつくしを食べるといいと現代農業に書いてたっけ。
放射能汚染には特効薬はなさそうです。
今日も井上ひさしさんの言葉を引いてみます。
・・・以下転載・・・
「別の言葉で言えば、日本国の国益だが言う物、もう真平なんだっちゃ」と、トラキチ東郷は言い、いかに日本国がこれまで「国益」をふりかざし、そのじつ「中央」のために、吉里吉里をはじめとする無数の「地方」を好き勝手に踏みにじってきたかを語りだす。
国益のためだ増産しろ、国益のためだ減反しろ、……国益のためだ村有林きりひらいて東北新幹線通すぞ、国益のためだ山を削って観光道路にするぞ、・・・・・・国益のためだ北上川上流の工場排水で村の川水は濁っても我慢しろ、国益のためだ文句言っても仕方ないぞ。政府はいつも国益ばかりだ。早口で語るトラキチ東郷にもう、同時通訳は追いつかない。
これからは自給自足のためにこの土地に一番あう作物、米をつくると宣言。「俺ァ無学な百姓爺だども、ド・ゴールづうどごがの大統領が『国家には感情がない、あるのは利益だけである』とくっ喋べったごどがあるづのば耳さしたごどある。つまり国益づものさは<勘定>はあっとも<感情>はねえわけだべな。だども俺達は人間、感情がある。人間らすい感情さ従って、これからおらだは米ば作る。自分で必要だと思うごどを自分で為るごどにした・・・・・・」。
…引用終わり(P93〜94)…『井上ひさし 希望としての笑い』 高橋敏夫著
じゃあ地方が踏みにじられただけの被害者かってのも一概には言えないだろうな。
進んで地域の文化を捨てて、中央=東京?都会に憧れ続けたという事実はあると思います。
そして「国益」から流れる「地方益」もしっかり頂いてたんじゃないかな。
この辺でも若い衆は仙台や新潟や福島に買い物に行くと聞きます。
地元には「何にもない」からです。
また、他所から移って来た僕らのような馬の骨が「自給自足」なんて
言うもんなら一笑に付されるかも知れません。
その厳しさや大変さを知らないまま、憧れだけの「自給自足」なんて
テレビや雑誌のイメージのいい部分だけを切り取って考えているだろうと
思われるかもしれません。
この雪国で、お湯の出る水道や暖かいお風呂やぬくぬくの暖房設備が
普及する以前の暮らしを知っている方々は、その生活が生優しいものでは
ないことを知っているでしょう。
そしてその生活に、誰もが戻ることを望まないでしょう。
ここでまた軟弱者の頭には斉藤和義が浮かびます。
♪欲しいものなら〜揃いすぎてる時代さぁ〜
ぼくは食うものに困ったことなどない〜
「僕が見たビートルズはTVの中」
地方はなぜ地方性を捨てたのか。
国家や政府や大きい会社が如何にして今の社会を造り上げたか・・・。
いや、この社会を造り上げたのは、それらを支持し続けた
自分たちなので文句のいいようはないかも。
ただし、この一ヶ月で少なくても分かったことは、
自給農家はやっぱり強いということと、
国や行政や大きい会社や有名な会社などが正しいとは限らないということ。
そして、いや、そんなことは昔から百も承知だといまさら言っても遅いのね、ということ。
井上ひさしさんは、あの世でこの世をどう見、どう考えるのか聞きたくなります。