▼見渡神社の獅子舞と獅子頭2022/08/29 21:52 (C) 獅子宿燻亭10
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8月27日(土)久々に笛吹に呼ばれた。
長井市平山の北向は見渡神社・・別名「にわとり権現」知る人ぞ知る歴史ある神社だ。
創立不詳、現在の社殿は延享五年(1748)の再建と伝えられ百日咳や風邪の病に効く神様として
信仰され、古来より鶏の絵馬を奉納する風習があり「にわとり権現」の由来である。
古い写真には松の御神木が見える
地域の急激な少子化とコロナ感染の影響もあり、獅子舞と笛太鼓の人員確保が難しく応援の連絡を戴いた。
先日、広野観音に寄付された広野の神明神社の遠藤盛助の作の獅子頭と見渡神社の獅子頭酷似の話をしていた
タイミングでの笛吹の依頼には驚いた。・・・何か神憑っている様な偶然である。
小雨の中、ワクワクしながらお祭りに出かけたのは言うまでもない。
警護の化粧回しには鶏の刺繍
暗くなって、いよいよ獅子舞が開始されるが獅子頭は案の定、豊なタテガミで獅子の造形が定まらず全体像が
見えない。明日改めて訪れて、ゆっくりと調査させてもらう事にした。
今年は参加者も少なく感染者も高止まりで、獅子舞は境内だけで終了である。
・・にも関わらず、お馴染みの笛吹や太鼓打のマニア達が集まって来た。
長井小学校の獅子舞クラブのOBや現役女子の顔ぶれもあり心強い。
コロナ感染対策として参加者の氏名住所の記帳を求められ、年齢を書いて改めて人生の儚さを感じるのだった。
獅子舞が宮入りすると間も無く小雨が強まり勢いが増して来た。
すっかり暗くなった田圃道を、獅子振り達が獅子を担いで帰って行く。
この祭りが終わった寂しさも一味である。
翌日、午前9時に再び神社に訪れ、案内役の総代を待つ。
数十年前、見渡神社の獅子頭の取材を行っていて総宮型黒獅子ながら、その特異な様相に特に気になっていた。
神社の拝殿内を調査させてもらうが、次々と興味深い宝の発見に出会い、興奮を抑えきれない。
拝殿の天井を見ると茅葺の梁や柱の構造が見える。西側に換気や煙出しの屋根跡があり面白い。
畳は返されて立て掛けられているのも合理的だ。
板壁には複数の奉納札が有り、読みにくい達筆の人名や明治や天保といった時代の崩し文字が記されている。
神殿の何処かで見たような獅子の彫刻の表情も興味深い。神殿下から無数の鶏の絵馬や、お札の木版が出て来た。
境内に生えていた松の御神木の一部や、天保年間の賽銭箱など書き切れない。
一つ一つ見る毎に語りかけて来る様だ。
塗師の板垣氏は現在高野町の板垣塗装店のご先祖だろう。
キリがないので公民館に移動して獅子頭とご対面である。
神社には二頭の獅子頭が所蔵され、獅子箱も用意されていた。
まず、初代の獅子頭のタテガミを掻き分けると表情が見えて来た。
やはり、盛助の作の獅子頭である。
舌の根元にお神酒を流す溝がある。広野の獅子にも同じ構造があった。
左の獅子は現在現役の二代目獅子頭は長井市四谷の志田氏の作である。
正に広野で見た盛助獅子の特徴である、細く飛び出した目、歯茎がある事、輪郭を彫り出す小さな眉、鼻
の形唇の線のなだらかな凹型と酷似し同時期の制作と思われる。箱には明治20年と有り後から整備された
のだろう。箱の底には製作者の名前「工匠 佐藤才吉 塗師 板垣安次郎」と有り職人の名前が残されて
いるのは珍しく、奉納者と職人の意気込みを感じる。
また古い獅子幕には気になる「文久元年 昇平山 瑞光寺」と見える記名が残されている。瑞光寺は廃寺に
なってしまった寺と思われ調査してみよう。
二つの板木 大きい方は龍蛇神社のお札、小さい方は「八百万神悪䖝退徐祈」とあり効能ありそうだ
龍蛇神社は現在存在しない。川原沢に昔、蛇月神社があった。
平山北向見渡神社から南に数キロに花作地区に熊野神社があり、その獅子頭も盛助獅子と思われるが、
作風が随分と違うが共通点が多い。花作熊野の獅子は勧進代総宮神社の盛助獅子系と思われ目は描き目
の輪郭のある蛇目型だ。盛助獅子は総宮型の様に額にコブ(白毫説、北極星説)を付けない獅子が多く
見渡神社も無かった。(二代目の志田氏の作は取り付けてあった。)飯豊町椿の伊藤嘉六家が町に寄贈
した獅子は典型的な総宮型の黒獅子で額のコブが無くシワが彫られている。この事から最近、盛助の匂
いが漂い出しているのを感じてきた。
盛助も何代かに渡り襲名し、獅子頭を作った可能性があるのではないか?
広野の元神明神社の獅子頭