ヤマガタンver9 > うすら暗い朝

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▼うすら暗い朝

冷たい雨の朝を迎えたが、家から見える田んぼの畦は枯れ草が連なり、
枯れ草色は暖かく、その向こうの杉林は明るい緑色、さらにその遠くに見える本宮の沢には霧がかかり、師走とは思えない風景である。

明日からは雪が降ると、ラジオの天気予報が語る。

こんな日は、外に出ても面白くないので、日がな一日炬燵の番になる。
たまに薪ストーブの火の番もしなくてはならないが、
お茶を前に置き、ボーっと過ごす。

300万余の戦死を出したこの国が、今ここにある。
原爆が2個投下され、それは思いの通りさく裂し、戦争が終わった。
もう、何十年も前の話ではあるが、俺たちの親や祖父の時代の事であって、
全く異次元の話ではない。
近くでは、朝鮮半島あたりがかなりきな臭い。

政治と言えば、仮初の・・・・、という言葉が時の総理あたりから発せられ、物議が絶えない。
まだあげそめし前髪の、林檎の下に見えしとき・・・ではあるまい、
一国の政治家が、それも首相を持って発する言葉にしては、林檎の木の下に歩く生娘程の恋の予感であってはお笑いである。
一国の重さを知らぬ御仁なのであろうか、それとも世界に冠たる大都会の幻想に現実を忘却なされたのか、いずれにしても、国民が国の責任を負わせる立法府あたりの使役人にしては脳がなさすぎるのではあるまいか。

いずれ、マスメディアを通して我々に伝わる彼らの姿も、官僚の姿も、もはや国民生活とは乖離してしまった別世界の人類の様でもあり、学級崩壊・学校崩壊した生徒会の様でもあり、現実に世を作る大人の世界とは別のものである。
テレビから飛び出し、地元に凱旋する議員であっても、その周りは選挙熱或いは選挙祭り熱がそこにだけ存在し、民衆の冷めた視線には気付く事がないのであろう。氏の周りに流れるのは、為政と私益、虎の威に群がる狐狸の類である。

文学とは、時の為政に対する意思である。というような事を言った人があったが、誰だったろうか。

自由な意思は、為政者や権力を堅持しようとする流れには、自由でないのである。そう、近くの平和賞をその手に抱けない文学者がいる国のように。
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