▼話し方2013/01/20 09:55 (C) ぼくのニワトリは空を飛ぶー菅野芳秀のブログ
▼わかる、わかる!話しの間に「うん」とか「はい」とかって入るのは、その地方独特のものなのか、私はまだ出会ったことがないのだけれど、 我が夫も、コンビニやレストランやいたるところで、「。。。になります。」という言い回しがやたら気になるんだとか。 そうか、“中上げ”って呼ぶんだ、あの奇妙な質問的な語尾って。 例の「。。。になります。」に大いに嫌悪感を示していた夫、 実は一時期、この“中上げ”を使って会話をしていた。(^_^;) 人って、そんなモンかも。 アレは批判するけど、よく似たコレはOKなんだね。 あたしも気をつ〜けよっ!(^○^) 2013/01/20 22:09:あおい:URL
▼あおいさん菅野も自分を振り返った方がいいよ。それに、うんもはいも個性だろうと忠告してくれた高校の同級生がいました。
2013/01/21 09:18:菅野芳秀
▼ごめんなさい! 話し方ではないのですが!『うん』も『はい』も、そういえば、そんな人居たなって思います。
聞き辛くても、注意するほど親しい人ではありませんでしたので、あまり覚えていません。 話している人は、癖かもわからないし、自分で気付いてないかも知れないので、他人から感じたことを言ってもらえたことは、今後のその人にとって良いチャンスやったと思います。 それもそうなのですが、私は、先日実家の母から、 「昨日病院へおじいちゃんを連れて行ってな、 『昨日の夜中から、たぐって寝られてないんです』って、若い看護師さんに説明していたら、顔馴染の年配の看護師さんから、 『この頃の若い看護師さんは、そう言っても意味が解らないんですよ』っていわれたんやがな」って聞かされました。 『たぐる』『吐る』って方言なんかな? 今度から、『咳が出て』とか『咳き込んで』って言わなイカンな。 でも、話の前後からして、糸や紐をたぐるとは思わないでしょう。 我が家では、嫁も息子も、小学1年生の孫でもわかります。 でも、もう、『たぐる』って言葉は無くなっているんでしょうかね。 山形では、『吐る(たぐる)』って使いませんか? 鹿児島でも、使いませんか? つかわないんだったら、これは讃岐の方言なのかな? 80代の人たち、いやいや老人(初老も含めてね)には、不便な社会になっているなって感じてしまいました。 昨日、ラジオの中の何かの宣伝に「おしょうしな」って言っていました。 なんかわからないけど、方言って温かいですよね。 方言って大切にしてほしいなって思います。 私は、地方ではどんどん使ったらいいと思います。 若い人たちも、いつかなんとなく聞き覚えるでしょう。 もうあとわずかで旅立つ人に、訂正は、なかなか出来んのですよ。 若い人が歩み寄ってくだされば、早いのになって思いました。 ごめんなさい、私(年寄り)の最近の愚痴でした。 2013/01/23 10:54:山さくら
▼山さくらさま「たぐる」という言葉は知りませんでした。
「咳が出る」という意味なんですか? 「おしょうしな」は私たちの地方の言葉です。 「ありがとう」の意味ですよ。 「しょうしい」は「恥ずかしい」の意味で、 「御しょうしいなぁ」が「恥ずかしいことです。」から 「ありがとう」に変わったのではないかとおもいます。 今でも頻繁につかいますよ。 2013/01/23 18:14:菅野芳秀
▼たぐる…手繰る!先輩、山さくら様へ
たぐるとは、「手繰る」つまり引き寄せるという意味に鹿児島では使います。 方言は同じ地域で育っても、年齢差によって通じないことがあります。この前、29歳の長男に「ハラグレ」をするな、と言ったら通じませんでした。ハラグレとは「ふざけあい」です。 「しょうしい」=恥ずかしいという言葉は、種子島で「しょうしか」といいます。なぜか解りません。 2013/01/24 17:39:種子原人
▼ありがとうございます!菅野 様
種子原人 様 丁寧に、ありがとうございました。 私たちの所では「きょうは、がいに、たぐっりょるな!」って言います。 もう、地元の若者に通じないのが、じれったいです。 吐ぐる = 咳をする がいに = 非常にとか、ものすごく・・・・・です。 ちなみに、讃岐で『がいな人やな〜』って言うと、 ものすごく強い人やな〜、って意味です。 『しょうしい』は辞書で調べると、(恥ずかしいことの意)ってありました。 東北地方の方言かと思っていたのですが、種子島でもつかわれていたんですね。・・・・それって、がいに不思議なことですね。 『はらぐれ』は、私にはさっぱりわかりません。 『おしょうしな〜』だって、聞いたことがなかったら、わかりませんでした。 でも、以前に、このブログで教えてもらっていましたから、私はわかりました。 恥ずかしい意味から、ありがとうになったんやな〜って、思うとなおさらこの言葉に親しみを感じます。 親しみを感じている人が多いから、宣伝の言葉に使ったりするんでしょうね。 私たちの県には、『ガイナーズ』っていうスポーツのチームがあります。 どこにも負けない、物凄く強いチームになりたかったんでしょうね。 私は、そこに行けば、そこの言葉を大切にしてほしいなって思います。 やっぱり私は、がいにこだわり過ぎやな〜! いいんですよ、こんなに、お返事をいただけるだけで十分です。 今年から、心を入れ替えて、流され上手になることにしていますからね。 自分の思ったことや感じたことは言う。 でも、自分以外の人や物に変化を求めないで、私の心を変えればいい事なら、まわりに合わすように努力します。 2013/01/27 17:22:山さくら
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自分のはなしの途中で「うん」と自分で合いの手を入れる人がいる。このあいだ東北電気保安協会からという人がきた。
「菅野さんの、うん、作業小屋の、うん、電気の回路が、うん・・・」
聞いているうちにだんだん腹が立ってきて、「はい、はい、わかった。こっちで何とかするから。」といって早々と帰ってもらった。
両親の介護のことで来てくれる方も
「お母さんの、うん、背中の、うん・・・」
この「うん」を「はい」にする人もいて、このあいだ、父親の年金のことで電話くれた方はそのような話し方をするひとだった。
「芳明さんの年金が、はい、お届けした書面に書いていた通りでいいのか、はい・・・」
おれも馬鹿だねぇ。話の途中で、
「あのさ、申し訳ありませんが、その、間にはいる『はい』がものすごく聞きづらい。話をよ〜く、お聞きしようと思っても、その『はい』が気になって集中できない。」
なんて言ってしまったよ。
最近はようやく少なくなったけれど、ひところ「中上げ」と私が読んでいたもの、これも聞きづらかった。
「自由↑、と民主主義↑、この問題の関係性↑・・・」小刻みに語尾を上げる話し方。これも聞きづらかった。あげられるたびに「うん」というあいの手が強制されているような気分になっていく。これは集中を妨げる。
これら、話し手はいいと思ってやっているのだろうか?
少なくても農民にはあんな話し方をする人はいないよ。