▼庭の木の雪囲い2013/12/11 06:59 (C) やまがたでの日々の暮らし・自然・風景
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画像は、玄関脇の五葉松である。
毎年の事であるが、庭木の一部について雪囲いをする。
山形市なので、置賜や最上などと比べれば雪は格段に少ないのだが、
それでも、多少はガードしておかなきゃならない。
今年は、降雪が早かったので、早々に設えた。
庭の木というのは、なかなか考えさせられるものがある。
っというのは、
先ずは、木は生き物である事。
しかも、その寿命は人間の一生の何倍もある。
また、木を植えた先人(先祖)の想いがそれなりに込められている。
拠って、その時、ちょっと邪魔だからと言って短絡的に切ったりは出来ない。
経済なんかは何周年サイクルでのいろんな波動がある。
また商品などにはライフサイクルというものがあったり、
既存商品のサブ機能とか視覚デザイン面などを
あえて陳腐化させて、新製品を販売したりする。
が、たかが庭の木であっても、
その木の寿命を全うして自然に朽ちるまで、
もしくは、なんらかのかなりの大きな理由が無い限り、
なかなか切れないものである。
これを、愛情というのか、呪縛というのか、適切な言葉が見当たらない。
自分を超えた部分での、良い意味での「成り行きに任せる」というのが
一番最適なのだろう。
そんな愚にもつかぬことを毎年想いながら、庭の木の雪囲いを行う。
冬至に近づき、犬っ子達との朝散歩は、このところ日々暗い中である。